れいなゆ小ネタ
リビングを出る前に、零はキッチンへ立つ妻を見る。空腹も満たされ、いよいよ眠気に襲われる。就寝しようと立ち上がり、キッチンに立つエプロン姿をみて、ふと先程の完全なる敗北分を取り返してやりたい気持ちがむくむくと頭をもたげた。普段なら口にしなかったかもしれないが、幸か不幸か彼の優秀な頭脳は連日の疲労と愛する女のせいですっかり滅茶苦茶になっていた。思ったことをそのまま口に出してしまうくらいには。
「なぁ、お前も風呂に入ったら、一緒に寝てくれ」
ガシャン、と洗う途中のおたまをシンクへ落とした那由多は油の切れたロボットのように零へと顔を向ける。
「あ、あの、その。それは」
「嫌ならいいんだ」
意識をして弱った表情を作り顔を伏せる。零の経験上、女はこういった表情に弱い。そして那由多の人のよさは美点だったが、どうも人が良すぎるきらいがある。案の定というべきか、零が廊下へと身体を向けると、あの、と控えめな声に呼び止められる。内心ほくそ笑みながら動きを止めた。
「……それは、えっと。
零さんがちゃんと休んでからでしたら……」
蚊の鳴くような声だった。ゆっくりと振り返れば自分の身体を抱きしめるように立つ那由多が、肌を耳まで赤く染めながら震えていた。目線が忙しなく泳いでいるのが可笑しい。と、同時に手の届くところにいないのが惜しいような、心臓を握りつぶさんばかりの衝動を飲み込む。努めて冷静に、真剣に、慎重に言葉を紡ぐ。
「じゃあ、後で添い寝を頼む」
「えっ、」
「えぇっ?」
わざと大袈裟に驚いてみせれば那由多と目があった。しばしの沈黙の後、見る間に耳どころか首元まで朱が差す。自分が何を口走ったか悟った那由多はまだ固まっている。零はこらえきれずに笑い声をあげ、意地の悪い表情を隠さずに、べ、と舌を出した。
一方の那由多は、はくはくと金魚のように何度か口を開閉したあと、どうにか言葉をみつけたのか泣きそうな声で叫ぶ。
「――!ひ、ひどいです!
やり口がいやらしいですよ!!」
「ははっ、どっちがイヤらしいかねぇ、奥さん?」
「からかわないで!
は、早く寝てください!はやく!」
さて一勝一敗だと泡だらけのおたまを振る彼女に追い立てられるように、今度こそリビングを去る。次の目覚めを楽しみに眠るのも悪くはないなとひとりごち、寝室の扉を開くのだった。