直径十三ミリの罠
零那由
夕食後、零は片付けも終えて風呂がたまるまでの間、ソファにゆったりと腰をおろしついていたテレビ番組を眺めていた。ゴールデンタイムのためかバラエティ企画が進行しており、賑やかな男女の声が聞こえる。那由多はというと、寝室から持ってきたアクセサリーボックスを手に、ぺたぺたとスリッパの音をさせて零の隣へとやってきた。那由多がソファへと腰を下ろす瞬間に、零がその細い腰に手をそえて引く。導かれるまま那由多は零の隣ではなく、長い足の間にすぽりと収まった。彼女は特に動じるでもなくアクセサリーボックスを机に置いて、中から淡いグレーのアクセサリーを磨くためのクロスを取り出した。それを揃えた膝におくと、ネックレスを外すために首の後ろへ手をやる。長い髪が邪魔してか、やや手間取る姿をみて零が微かに笑みを含めて声をかける。
「助けがいるんじゃねぇか」
「……じゃあお願い」
「ほら、髪だけどけてくれ」
那由多は髪を全て自分の右前側に流してネックレスの留め具がよく見えるように僅かに下を向く。ほんの五ミリほどの小さな金具を零は大きな手で器用に外し、ついでに真っ白いうなじにちゅっと音をたてて唇を寄せた。
「きゃっ」
反射的にうなじを手で隠し、勢いよく振り返った那由多の眼前に留め具をきちんととめ直したネックレスをたらして抗議の声を抑える。
「まいどあり」
「もう……」
にっと笑えば那由多はそっと手を離して繊細なつくりのネックレスを受け取った。それを膝の上のクロスで包むと、那由多は僅かに身じろいでおさまりのよい場所を見つけ零に身体を預ける。柔く心地よいぬくもりを抱くように、零は那由多の薄い腹の上で両手を組んだ。
引き続いてテレビ画面の向こうでは賑やかなコントが繰り広げられている。零はもうテレビには興味を失っていたため、シルバーのネックレスを丁寧に磨く妻の細い指の動きを観察した。爪を引っ掛けるためのわずかな出っ張りがあるだけの留め具、幅が一ミリもないような細いチェーン、一粒ダイヤが輝くトップ、と順に柔らかい布で拭き上げてゆく。視線を感じたのか、那由多は軽く説明をする。
「これはね、私が独身の時に誕生日に買ったのよ」
「ずいぶん華奢な作りだな」
ふぅん、と返事を返してから、零は感想を述べる。
「実は二回くらい、チェーンが切れてしまったから修理に出したわ。
バックのベルトを肩に掛けるときに巻き込んでしまったりするよのね」
「へぇ、よくできてるじゃねぇか」
「どうして?」
「持ち主が怪我をする前にちぎれるんだろ?
おかげでこの綺麗な肌に傷がつかずに済むんだから、デザインだけじゃないんだなと思ってな」
考えすぎよ、と那由多はころころと笑う。手入れを終えたネックレスをアクセサリーボックスへ戻そうと身を起こそうとして、零の手に上体を押し戻されてしまった。二度、三度と同じことを繰り返し、ため息をついた那由多は身を捩って伸び上がる。
「意地悪しないで」
先ほどのお返しとばかりに首筋にキスをすると、零の手は解けた。彼は別に驚いたわけではない。その口角が上がっていることに背を向けている那由多は気づいていなかったので、ネックレスを戻すとまた筋肉質な身体に体重を預けた。さっそくするりと手が戻る。
今度は那由多は少し考えて、零の左手をつついた。
「ちょっと手を貸してもらえるかしら?」
「好きに使ってくれ」
組んでいた手を解くと零は左手を那由多の左手の上に重ねる。那由多はその手を軽く握ってから自分の腿へと置いた。那由多が身につけていた左手の薬指の指輪を外すと、零の手を持ち上げて同じ薬指へと嵌めようと試みる。が、当然入るはずもなく、那由多は隣の小指へと指輪を移した。そちらはぎりぎり第一関節を通り、第二関節の前で銀の輪が止まった。もう一つ、那由多は右の小指にあった指輪も外して今度も零の小指へとつけてみようというらしい。明らかに小さな輪に零は思わず呻いた。
「なぁ、外せるようにだけ頼むぜ」
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのか零にはさっぱりわからなかったが、那由多が指輪をつけやすいように小指を軽く伸ばした。ピンクゴールドに小さなルビーが飾られたそれは零が今年の那由多の誕生日に送ったもので、記憶ではリングサイズは一号か二号だったはずだ。わずか直径十三ミリほどのそれは、短く整えられた零の爪の上を通り、第一関節すら通れずに止まった。無骨な手には不釣り合いなキラリと輝く指輪に彩られた小指をしみじみと眺め、那由多は「手が大きいのね」と呟く。
「俺が大きいだけじゃねぇと思うけどな」
「そう?でも私、あなたより大きい人は見たことがないわ。
たくさんものも持てるし、いいことね」
そう言われると零も悪い気はしない。那由多は嵌めたばかりの指輪をひとつ引き抜くと、ネックレスと同じように丁寧に拭き上げはじめる。零はされるがままに指輪を飾る台の役目を果たした。途中、零は手持ち無沙汰になったために右手を服の裾から侵入させて滑らかな素肌へ這わせる。そのたびにつまみ食いを咎めるように、ぺちんと軽くその手をはたかれ叱られる。が、どちらも戯れているだけで本気ではない。
那由多は零の結婚指輪も綺麗に磨き、二人分の指輪があるべき場所へと戻る。ちょうどいいタイミングで風呂の湯が溜まったことを知らせる音楽が流れた。
「お風呂は先に入る?」
立ち上がった那由多の膝裏をすくうように零が手を差し入れ、右手一本で軽々と抱えて立ち上がる。不安定さはなかったが急に高くなる視界に、那由多は今日二度目の小さな悲鳴をあげて零の首にしがみついた。
「何するの?」
「せっかくだから一緒に入るか」
零の翠の瞳は悪戯っぽく輝く。
「何がせっかくなの……」
「いい子にしてた俺に対価があってもいいと思わないか」
「ちっともいい子じゃなかったわよ」
「何にもしやしねぇよ」
「絶対よ?ねぇ」
眉を下げる那由多をキスで誤魔化して、零は浴室へ向かうべく踏み出した。