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殻の中の夢

殻の中の夢
ろささ・零那由


 零が静かな部屋で一人、とある資料を捲っていた時だった。蘆笙が修学旅行の引率から戻るのだと、簓が電話をかけてきた。
『明日は俺も久々のオフやねん、せやから今日の夜は蘆笙ん家集合な!』
 小学生の子供のように弾んだ声がそう告げる。零が適当に肯定の言葉を返すと彼はますます嬉しそうに笑った。すぐに電話の向こうでマネージャーに呼ばれたらしい簓は『ほなね』と慌てて残し電話を切る。零は通話終了の画面を眺めながら、今日の手土産に頭を巡らせた。

 十九時すぎ、蘆笙の家には既に簓と零がいた。このところ忙しかったと見え、簓の顔色がやや悪い。だがそれを覆す勢いで彼は得意の喋りを披露していた。零と二人、コンビニの餃子をつまみに早々に一本目のビールの缶があく。
「蘆笙のやつ遅いなぁ」
「しょうがねぇだろ。『先生』っつーのはいつの世も忙しいモンなんだからよ」
「そんなもんなんやろか。ご苦労やでほんま」
「売れっ子漫才師を心配させるたぁ贅沢だねぇ」
「何やねん、俺ら仲間やろ。心配ぐらいするわ」
「そんだけかぁ?」
「他に何があんねん。
 次は何にする?俺はビールかなぁ」
「おいちゃんもそれで」
 二本目を取るために簓は立ち上がる。横を通りながら、簓がちらりと零の顔色を伺った。それはほぼ無意識の簓の癖で、彼は鋭い観察眼と洞察力によって人の心を見透かすのが上手い。表には出さないが口よりもさらによく回る頭は称賛と警戒に値する。だがよくわきまえているのが彼のよいところだった。
 勝手知ったるキッチンで目当てのものを手に入れて、簓はすぐにもどった。
「ほい」
「ありがとよ」
 各々プルタブを引くと、カシュという小気味良い音が重なる。無言のまま缶をぶつけて二人とも二本目も景気よく流し込んだ。秋口にはいりやや肌寒くなったが、いつ飲んでもビールは美味い。くあぁ、と簓が声をあげたところで、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。
「蘆笙おかえり!」
「ただいま……、って俺の部屋を毎度毎度自分の家のようにお前ら……」
 どさりと重い荷物を廊下へ置く音がして、玄関から三歩の和室へやっと家主がもどってきた。
「邪魔してるぜ」
「邪魔すんねやったら帰ってくれ」
「まぁそう言わんと、蘆笙もはよ飲もうや」
「ちょお待て、手洗ってくるわ」
 ぺたぺたと足音をたてて洗面台へ消えた蘆笙は、すぐに自分の分のビールを手に戻った。改めて三人で缶をぶつけて声を重ねる。
「乾杯!」
「お疲れ〜。大変やったんちゃうん修学旅行の引率」
「ほんまやで。大変やったわ。慣れん場所やし、危ないもんも人も気をつけなあかんし、生徒らも流石に浮かれるやつもおるし。
 まあそれでもあんなに楽しそうにしてくれて、思い出になるんやったらええわ」
 きつい目元を柔らかく緩めた蘆笙がビールをあおる。恒例の深夜の見張りのためか、目元に隈をつくっていたが、はぁと満足そうなそのため息に彼の充実度合いが見えた。
「よかったやん」
 そう言って缶を掲げる簓に、蘆笙は笑って自分の缶をぶつけた。
「お前こそ大変やったんちゃうか。俺はオオサカテレビが映らん地区におったからあれやけど、今日も生放送があったんやろ。イベントMCもやるとか言うてなかったか」
「そやで。今日もこのヌルサラさんが爆笑かっさらったったわ。
 結構おもろいイベンやってな、こう仮装した素人さんたちの出しもんを……」
 鬱屈も屈折も忌憚もなく、互いの仕事の話に花を咲かせる若者二人を肴に零も酒を飲み干す。思ったよりもすぐに空いてしまったので、手土産の「とっておき」の日本酒の瓶を手に取った。
「ほらお前ら、酒の味がわかるうちに味わっとけよ」
 簓が机の上に準備してあったグラスをそれぞれの前へ置く。
「おおきにな!
 お、それカナザワディビジョンの有名なやつやん」
「よく知ってるじゃねぇか。鰭酒と合うんだよなコレが」
「今日は冷凍餃子やけどな」
「せや、俺もつまみにと思ってお土産買うてきてん」
 色の白い蘆笙は、もう既に朱の差した顔でいつもよりも朗らかに笑う。横着して身体を伸ばして取ったのは、ジンギスカン味のポテトチップスだった。
「また絶妙なチョイスだな」
 素直な零の感想を、簓が笑い飛ばす。
「わからんで、むっちゃ美味いかもしれんやん」
 ばりっと派手な色の袋を開いた蘆笙からそれぞれが受け取って口に入れる。
「あ〜」
「うん」
「これはなんとも」
 ぱりぱりと咀嚼すると確かにジンギスカンらしい濃い味がするのだが、ラムを表現しているらしき匂いがどうにも鼻につく。三人は顔を見合わせてから噴き出した。
「買った俺が言うのも何やけど、なんともいえん味やな……」
「まぁいいじゃねぇか、話のネタにくらいなるだろ」
「俺は悔しいわ。微妙すぎてリアクション取れんかった……!」
 眉を顰めた蘆笙は、もう一枚!と手を伸ばす簓に無理をするなと釘をさす。
「口直しと行こうぜ」
 それぞれのグラスへ日本酒をなみなみと注げば、二人はそろって問題の土産物から手を離した。零のとっておきの酒は、香りは華やかだがきりりと辛口でさっぱりと飲みやすい。
「くぅ、滲みるわぁ」
「というか、意外にも合うんちゃうかコレと」
「遠慮せず飲めよ」
 ついつい箸も進み、机の上の餃子も蘆笙の土産物も、思いのほか早く片付きそうであった。

「うぅん、」
 今日も真っ先にダウンしたのは蘆笙で、楽しげに語っていたのも束の間、気がつけばこっくりこっくりと船を漕いでおり、かと思うと後ろへばたりと倒れ込んだ。
「あかんわ、てんじょうまわっとる」
「回ってへん回ってへん」
 斜めにズレた眼鏡を取ってやりながら、簓はその目の前に指を二本目をたててみせる。
「お客さん大変!こんなところに倒れてもうて!
 コレは何本に見えます?よぉ見て!」
「バカにすなよ、二本にみえとるわ!」
「じゃあこれは!」
 チームのハンドサインを蘆笙の鼻先に押し付ける。視界を覆う指から顔を背けようと唸る蘆笙は、鬱陶しそうに叫んだ。
「いやちかい。見えんわ!」
 簓は深刻な表情を作ると零を振り返る。
「まあ大変!先生、どないしましょ」
「ん?あぁ、心拍数測っとけ」
「はい!」
 適当に合わせた零の言葉に従って簓が蘆笙の服を捲った。
「先生大変や!腹筋割れすぎて板チョコみたいになってもうてます!」
 きゃあと裏声の簓は酔いのためかもうコント師の顔を保てそうにない。
「あぁ、こんなに見事に割れちまってたらなぁ、残念だが……」
 代わりに今度は零が深刻な顔で首を横に振る。
「そんな、先生なんとかならんのですか」
「いや、ちぎったパンがもとに戻ることはない」
「だれがちぎりパンや!
 おまえらぁ、いいかげんにせえよ!だいたいおまえらも腹筋くらいわれとるやろが」
 仕返しとばかりに簓のシャツを引いた蘆笙に簓はついに堪えきれずに笑いだした。
「あはは、くすぐったいわ!ごめんて、もう。ほら止めてぇな」
 簓は引き倒され、大の大人たちが文字通り笑い転がる。いつもはきっちりと後ろへ撫でつけられている蘆笙の、髪は崩れ簓は血色ののった目元に涙を滲ませている。何がどうなったのか、いつの間にかくすぐり合いがはじまり、やれやれとその様子を見下ろす零は、かつてどこかで見たことがあるような光景に口角をあげた。
「れい、なにわろてんねん。おまえもはらだしてみ」
「おっと、俺を脱がすのはちぃとばかし高くつくぜぇ」
 笑いすぎて震えている簓を抑えて起き上がると、蘆笙はびしっと零を指差した。
「……っく。
 そんな、シャツあけて、きとって。はらがだせんことあるかいな!」
「おいおい大丈夫かぁ?」
 勢いよく起き上がったせいか蘆笙は、目眩に襲われたらしい。ふらふらと上体をゆらしていて、危険を察知した簓が僅かに身体をずらしていた。
「ひゅう!やったれ蘆笙!」
「面白いもんなんてでてこねぇよったく」
 すっかり据わった目でしばらく何事かつぶやいていた蘆笙は、先ほど横になったことでさらに酔いが回ったのか最後にはついにぱたりと横になり、寝息を立て始めた。隣りでその顔を暫く眺めた簓は、はぁ笑った笑ったと身体を起こし、出しっぱなしの腹筋にきちんと服をかけてやった。
「零は、まだいけるやろ?もうちょい飲もうや」
 グラスに残っていたぶんを飲み干し、つまみを口にしようと箸を取ろうとしてその手をとめた。机の上はいつの間にか、酒しか残ってはいない。
「ありゃ、もうなんもないな」
 めんどくさいけどコンビニでも行くかとぼやく簓に、零はグラスを置いて立ち上がる。
「……しょうがねぇ。ちょっと待ってな」
「冷蔵庫は卵しかあらへんかったで」
 しっかりした足取りでキッチンへたった零が、かちゃかちゃと調理器具を取り出す音を聞いて、簓はおやと首を傾げる。彼が知る限り、零がキッチンにたった姿をみたことはなかった。興味をひかれ、日本酒で満たしたグラス二つを手に後を追った。
 明らかに前に立つ男とは高さのあわない調理台にどんぶりがひとつ。零が片手で手際よく卵を割り入れている。流しの縁に零の分のグラスを置き、簓はそのチグハグな光景を眺めた。四つの卵に目分量で粉末出汁と水とが入った。零の目が食器のあたりを彷徨っているのを見て、簓は引き出しからあまり使われた形跡のない菜箸を取り出して渡す。眉をあげてありがとよと返すと零はそのままあっという間に卵を溶き、いつの間にか一口コンロにかけられていたフライパンへ油をひいた。それは今思いついたというよりはよく慣れた人の動きで、簓はへぇと感心する。
「なんや零、料理できるんやな」
「今どき料理の一つもできなきゃモテないぜ」
「モテたいんかいな。というよりお前、今まで料理なんてしたことなかったやん。俺等となんか食べる時も外食かデリバリーやったし」
「能ある鷹は何とやらってな。……簓、砂糖かみりんはねぇか」
「うーんどうやったかな。調味料はコンロの下なんやけど」
 そういいながら簓が冷蔵庫を開けると、隅の方にきっきりと口を閉じられた砂糖の袋があった。
「ほい。……悪いんやけど、俺甘い卵焼きよう食わんで」
「隠し味だから心配すんな」
 ひとつまみの砂糖にほんの少しの醤油。そして零は最後に簓が置いたグラスから少しだけ日本酒を卵液へと足した。十分あたたまったフライパンへそれを流し込むと、じゅわっという音ともに出汁と卵のいい香りがひろがった。
「おお、うまそう」
「なんだよまだ俺の腕を疑ってんのか?」
 軽くかき混ぜた卵が固まる前に零が手首のスナップと菜箸で器用にそれを三つ折りにした。パチパチと手をたたく簓に零は肩をすくめてみせる。
「ホンマに意外やったわ。自分、この世で一番料理とか家庭的なもんから遠いやん」
 簓はくるくると層を重ねる卵と、派手な服を生まれたときからこの格好でしたと言わんばかりに着こなす零とを交互に見る。
「俺ほど家庭的な男もいねぇよ」
「まぁたそれや。騙されへんで」
 つれねぇなぁとこぼす零は作業を続けながら、ふと懐かしい声を聞いた気がした。

 昔、こうして飲んでいるときにたびたびねだられたことがある。
「ねぇ、私あれが食べたいわ」
 やわらかな頬を酒精に染め僅かに首を傾げたその人は、アルコールの力を借りたときだけ滅多に言わないわがままを少しだけ口にした。
「アレってなんだよ?」
 このリクエストはその日によって内容が変わるものだった。顔にかかるさらりとした髪を小さな耳にかけてやりながら問う。
「今日はね、あなたが作った卵焼きがいいわ。だって私が作るより美味しいんだもの。お酒にもよく合うし……。付け合わせの大根おろしは私がやるから。
 ね、おねがい」
 そう言われると何でも叶えてやりたくなった。必要とされることが嬉しかったのか、出来立ての料理を頬張って「ふふ、おいしいわ」と表情をとろけさせる姿が好きだったのか。今は中華も和食もフレンチも、望むなら何だって作ってやれるのに。可愛いわがままを告げる声はなく、それを食べてくれる人だけがいない。

「皿は……っと、コレでええか?」
 白い大皿を取り出した簓が聞いても反応がない。変わらず器用に卵を焼く零はぼうっとどこか遠くをみていた。いつもの不敵な笑みがよく似合う表情が一瞬だけ揺らいだ気がする。その瞬間、簓は零が誰かのために料理をする『家庭的な男』に見える錯覚を覚えた。
「零?」
 呼ばれた零ははっとしたように視線を動かして簓を見る。そこにはまるで嘘のように、欠片も先ほどまでのおだやかな光は残っていなかった。
「皿をそのまま持ってろよ」
 あっと思うまもなく、熱々のフライパンがひっくり返される。そっとフライパンがどかされると、簓の目の前に出汁をたっぷりと含んでぷるぷるの卵焼きが鎮座していた。
「おぉ」
 調理台へ皿を置くと、零はさっとそれをカットして端の一切れをあちっといいながら口に放り込んだ。簓もそれを真似て反対の端をつまむ。
「あっふい、にゃ。……うまい」
 あつあつの卵焼きは見た目の通りふわふわで、歯をたてるとじゅわりと出汁が広がった。上品な味付けだが、最後に足した日本酒の香りのせいか、手元の酒によく合う。零と簓は無言のままグラスをあけた。
 蘆笙が転がるリビングに戻ると、零は座ることなくコートを羽織った。やや不自然な口角が気になり簓が声をかける。
「なんや、帰るんか?」
「煙草が無ぇのを思い出したんだよ。ちょっくらコンビニへ出てくる。……すぐ戻ってくるさ」
「わかった、気ぃつけてな」
 ふらりと出ていった零は、卵焼きがすっかり冷めても戻らなかった。
「また騙されたわ」
 簓は部屋の壁掛け時計の秒針の音を聞きながら、座布団を枕に蘆笙の横に転がった。それなりにアルコールに侵された脳は、半分夢のように断続的に今日の場面をハイライトする。仕事はうまくいったこともいかなかったこともあり、大変だった。蘆笙と四日ぶりに会えて嬉しかった。飲むのはやはりとても楽しい。店以外であったかい卵焼きを食べたのはごく幼い時以来だった。そういえば想像はつかないが、零にも大切な人がいたのだろう。どうしてその人が近くにいないのか簓には分からないし、たずねる気にもならない。とりとめのないそれらが簓の瞼をゆっくりと押し下げる。簓の大切な人は今隣にいるが、自分の気持ちと蘆笙の気持ちが重ならないであろうことはよくわかっていた。
「まあ、世の中ままならんこともあるわな」
 ただ隣にいられることを感謝して彼は眠りについた。

 次に簓が目を覚ましたのは狭い布団の中だった。ふと見ると、ごくごく至近距離に蘆笙の整った顔がある。朝から見るには刺激の強いそれに、目が潰れそうになり思わず目を閉じ、そしてすぐに開けた。
「ん、まて。なんで俺等がおんなじ布団に居んねん」
 簓の記憶は昨日目を閉じたところまでだ。そのあと布団に入った覚えはない。妙な想像をして汗が噴き出してしまい、心臓が跳ねた。いやいやまさかとそっと布団をめくる。着衣は乱れていたが、昨日転げ回ったせいだろう。そうであれ、そうに違いない。簓は兎にも角にも何もなければいいと思いたかった。
 そっと布団を抜け出すと、部屋はすっかり綺麗になっていた。メモが一つ、見覚えのある字で『残りモンは冷蔵庫。運んでやった礼は今度でいいぜ』とだけ書かれている。
「なんや、零かいな……」
 どっと疲れてメモを握る。はっきりとそう示されたことはなかったが、零には簓の気持ちが読まれているのかもしれないという薄っすらとした予感があった。紙切れはゴミ箱へと放り込む。蘆笙は当分起きないだろう。簓は水を飲むとリビングの座布団を枕に再び横になった。次に目を覚ましたら、いつも通り一緒に昼食を食べに行くのだ。少しひんやりする畳が心地よく、簓は再び瞼を閉じた。
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