全員成人済
「誕生日おめっとさん!」
空却が高らかにそう言うと、グラスが3つあわさり涼しい音をたてた。
「えへへ、嬉しいっす!」
4月14日、今日は十四の誕生日だった。はにかんで笑う彼の頭をかき回すように空却が撫でる。
「うわ、」
「成人したんたからな、へらへらしてんじゃねぇよ」
いーっと犬歯を見せて憎まれ口を叩くが、『こういうのは当日やるから意味があるんだよ』と半ば無理矢理この会を企画した張本人である。それが照れ隠しであることは、十四にもわかっていた。
「そのへんにしておいてやれ、ったくいつまでたってもガキだなお前らは」
自宅を提供することとなった獄は、二人の前に帰りに購った惣菜を押し出す。ローストビーフやら骨付きのチキンやらは若者たちの好物だ。もちろん十四の好物ナポリタンも皿に山となっている。二人はあっさりとグラスを置いて箸を取った。
「ナポリタン! 高いお肉!」
キラキラした目で物色を始めた十四。
「高かろうが安かろうがうまけりゃいいんだよ。
ん、やっぱりチキンは骨付きに限るな!」
一方の空却は坊主とは思えない豪快さで肉をくわえると、これまたこの世の節制とは無縁の勢いでお気に入りの発泡性の日本酒をグラスへ足した。
「値段なんて野暮なやつらだな……。
張り切るのもいいが、ケーキの分の腹は空けとけよ」
すぐに取り合いを始めそうなので軽く釘を刺す。まあ祝いだから小言はなしにしようと、獄は自分のための刺し身へ手をのばした。傍らのグラスにはハイボール。実は彼は昨日までチーム3人での食事では酒を一切口にしていない、もちろんタバコにも手をつけなかった。だがそれも今日までで終わりを迎える。昨年空却と初めて酒を酌み交わしたときも思ったが、なんとも感慨深いものがあった。そう、例えば父親にでもなったような。
「……まさか酒を飲めるようになるまで付き合いが続くとは思わなかったよ」
ナポリタンをアマンダの前にも置いていた十四が顔をあげる。獄の小さな独り言に耳ざとく反応したようだ。
「どうしたんすか?」
「おめでとう、つったんだよ」
「ありがとうございます!」
またふにゃりと表情を崩した様子を見て、早く食えととっておきのトロを皿に盛ってやった。
一通りの料理を堪能した後、レース紙のかかった大きな箱から出てきたのは、3人で食べるにはいささか大きなホールケーキだった。真っ白な生クリームとツヤツヤのいちごで囲まれた上部には、十四の宝物が描かれている。
「ケーキ、アマンダじゃないっすかあ」
うわあと喜びの声をあげる様子はまだまだ子供っぽい。それを見て空却が意味ありげに眉を上げて獄に囁く。
「やっぱりデカいケーキは要るだろ?」
はいはい俺が間違ってたよと手を振って、獄は懐のライターでろうそくへ火をつけた。空却はスマホを取り出すと、部屋の明かりを落してカメラを起動する。そのまま少し癖のある節でハッピーバースデートゥーユーと歌いだしたものだから、獄も少々気恥ずかしく思いながら小声で続き、十四はなぜか一番張り切ってその簡単なメロディをなぞる。
「ハッピーバースデートゥーユー」
歌い終わるとろうそくの炎を十四が名残惜しげにふぅっと吹き消した。ろうの匂いが一瞬鼻を掠め、誰からともなく拍手と歓声がわく。明かりをつければ空却は面白がって試合後のインタビューのようにマイク代わりのスプーンとスマホのカメラを十四へ向けた。
「オイ十四、せっかくだからなんか目標とかやってみたいこととか言っとけ!」
「うぇ?」
「場合によっちゃあ拙僧らが協力してやるから」
「そんなこと急に言われても」
「いいから、なんかあんだろ? 何でも言ってみろや」
十四は二人の顔を伺うと、アマンダをぎゅっと抱きしめた。
「なんでもいいんすよね?」
「おう。じゃんじゃん言っとけ」
「えっと、まずラップをもっとうまくなることと、バトルで優勝すること……!」
おずおずと語りだしたのは共通の夢、いや手の届く目標。
「近いうちにだな」
獄が煙草に火を着けようと伸ばした手を止めて口角を引き上げる。空却もぐっと拳をにぎりこんでみせた。
「ははっ、のぞむところだ。
ますます修行を厳しくしねぇとな」
「えぇ、それは勘弁っす……いたっ」
途端に弱気になった十四に、空却は手を伸ばしてその額をスプーンの柄で弾いた。
「んで、もっと個人的なのは無いのかよ」
「あとは、バンドの新曲でチャート1位も獲りたいし。全国ツアーとかできたら最高っすよね。できれば音楽番組にも……、あっ」
長い指を折々数えていた十四がぴたと止まる。
「どーした?」
訝しむ間にスマホの画面へ綺麗な顔がアップになった。
「自分、お酒をのんでみたいっす」
エメラルドが期待と憧れに煌めいた。一瞬の間ののち、笑い声が広がる。
「ははははっ! 獄! さけ、酒だってよ!」
空却はカメラを止めスマホを放り出すと、涙を浮かべてどたどたと足を鳴らした。そして近くにいた獄の背中をばしばしと叩いて十四を困惑させる。
「だ、駄目っすか?」
痛ぇだろうがと隣の白い頬を引っ張って獄は笑い声を止め、十四の前へ新しいグラスを置く。その顔も少々緩んでいるのは誰の目にも明らかだ。
「好きに飲めばいいんだよ」
「いやでもなんかちょっと怖くて」
眉を下げ子犬のごとく小首をかしげると、十四は空のグラスをつついた。空却は頬をさすりつつさっと立ち上がると、我が物顔で獄の冷蔵庫をあさり酎ハイの缶を三つほど抱えて戻ってくる。
「ほれ見ろ、お前のために拙僧も獄も飲まない甘ぁいの入れてんだぞ。手を付けねぇから嫌なんだと思ってたわ」
ならんだ色とりどりの缶をひとつひとつ確かめながら、空却が続ける。
「これは白いサワー、甘いし3%だからジュース。はちみつレモン、これも甘いし3%だからジュースだろ。んでグレープフルーツ、5%じゃあジュースだな」
「ジュースなんすか?」
十四が獄をうかがう。もちろんそんなはずはなく、獄は頭を抱えたくなるのをこらえてかぶりを振った。
「当然酒は酒だ。信じるなよ」
「ひゃはは、拙僧からしたらどれもこれも変わんねぇんだよ。
大切なのは飲んでものまれないこと、飲み方を覚えること。つまり習うより慣れろだな」
「獄さぁん!」
いつもの流れになったところで、はっと十四が顔をあげた。
「って、そうじゃなくて!
自分は二人とおんなじのがいいんすよ!」
「同じぃ?」
「そうっす! だって、それがかっこいいっす!」
必死の訴えに、空却と獄は顔を見合わせた。
あー、と頭をかいた空却が十四に向き直って、自分のグラスを掲げる。
「これ見ろ十四。拙僧の好みは般若湯、つまりは日本酒。別にビールもサワーも飲むけどよ」
「俺はウイスキーだな」
獄も自分のグラスを持ち上げる。そこにはロックのアイラウイスキーがゆれている。
「ほわあ、ウイスキー」
カランと鳴った音にひかれ思わず手を伸ばしかけた十四に、空却は二つのグラスを近づける。
「言っておくがどっちも初心者向けじゃねぇぞ」
「うぐ、」
とたん鼻を突いた酒精に思わず形のいい眉を顰め唸った。空却と獄にとっては華やかな香りも、慣れていなければ少々キツイだろう。
「でもぉ……!」
どうせ最初に飲むならと食い下がる十四を見て、獄がゆっくりと立ち上がった。
「あぁ、お前らケーキ食ってちょっと待ってろ」
何かを思い出すようにこめかみを叩き、キッチンへ向かう。残された二人はケーキをちらと見てから立ち上がるとその背中を追った。
「なにすんだ?」
「ちょっとな」
そう答えつつ空却の頭の上の棚からこまごましたものが入ったカゴを取り出す。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、カゴの中からいつもは朝に飲んでいる豆と水をともにセットした。次に食器棚の前から十四をどかして、グラスを三つ。誰かにもらったまま存在を忘れかけていたチャイグラスはホコリもかぶっていなかったが、念のため軽く洗うことにした。
「ケーキにコーヒーっすか?」
手伝おうと一段上にあったチャイ用のポットを出す十四を止めて獄は答える。
「うまくいくかわからねえが昔飲んだカクテルを作る」
「カクテル。大人の響きっす……」
おとなしく食器棚の扉を閉めた十四を確認して、流しの前を陣取っていた空却を冷蔵庫の方へ寄せてグラスを置いた。空却と十四がカクテルについて話し始めたのはいいのだが、いい加減さほど広くないキッチンで二人も後をついてくるのは危ない。シャツの袖をまくり上げつつ獄は顎でケーキを指し示した。
「まだ時間がかかる。お前らは邪魔だからケーキを切り分けて食ってろ、ほら」
「はあい」
「しゃーねぇな」
追い立てるように言えば二人はしぶしぶキッチンから出ていく。ようやく落ちついて獄はグラスを洗い始めた。
こぽこぽと音を立てて抽出されるコーヒーの香ばしい香りに包まれつつ、拭いたグラスを並べて砂糖を取り出す。
「ザラメじゃなくてもまあいいだろ」
独り言をつぶやいてスプーンで砂糖を入れていく。ケーキのことも考え、量は控えめだ。そのあと獄はちょっと手を止めると足りない材料について考えた。流石にケーキの飾りをとるのは美しくないよなと思っていると、はかったかのようなタイミングでそのケーキの付近が騒がしくなった。
「あぁあ、アマンダ! それはダメっす。痛い、待って。空却さん、やめてほしいっす……!」
「危ねぇな、包丁持ってんだぞこっちは!」
「あああ! そんな、アマンダ、アマンダあぁ……」
「仕方ねぇだろ切らないと食えねぇんだから」
「だからって顔から切ることないじゃないっすか!」
「だぁ、うるうせぁな!」
「ひ、獄さぁん!」
呼ばれた獄はため息を飲み込んだ。どこか遠くでにぎやかな声に苦情が来なけりゃいいがという考えが頭をかすめて眉根を寄せる。だが空却を見て材料の件の解決策を思いついた。
「十四、本物のアマンダは無事なんだから大丈夫だろう。それから空却、お前が今日買って来たアイスちょっともらうぞ」
「いいぜ。でも半分は食うからな」
ケーキを皿に移すことに集中している空却は、特に迷うこともなくあっさり答えた。十四はアマンダを抱きしめて落ち着きを取り戻し震えるケーキの様子をはらはらしながら見守る。
「いつまでたっても世話の焼ける」
そのつぶやきを砂糖と一緒に溶かすように、獄は熱いコーヒーをグラスへ注いだ。そしてラックから彼のコレクションの中でも比較的癖の少ないウイスキーを一本選び取る。本来はカクテルにするにはもったいないようなとっておきだということを、おそらく二人は気づかないだろう。それでも獄はためらいなく美しい琥珀色の液体をさらにクラスへ足していく。空却と自分の分には普通の量を、十四の分には香りが分かる程度の量を慎重に。ゆるくマドラーでかき回すとコーヒーとあいまって深みのある芳醇な香りが広がった。
「獄さん、ケーキ空却さんが分けてくれたっすよ!」
「もう終わる、食ってていいぞ」
「ここまで来たら待っててやるよ」
フォークを振る十四に視線をやってから獄は仕上げにかかった。冷凍庫から空却が冷やしていたカップのバニラアイスを出し、大きめのスプーンでひとすくい。本来は生クリームを入れるところだが、そっとグラスに浮かべてみるとそれなりに様になっていた。
「よし」
残りの二つも手早く仕上げてアイスは再び冷凍庫へ。はやくはやくとせかされつつ無事完成した一杯を、それぞれ取り分けられたケーキの横へ置いた。
「アイリッシュコーヒーだ。初心者にも飲みやすい一杯だが、十四は無理するなよ。空却、お前もそっちをのんでるからほどほどにな」
獄が座ったのを見計らってそれぞれに手が伸びる。十四はやや緊張した面持ちでグラスを掲げた。空却が笑ってそこへ自分のグラスをぶつける。
「乾杯」
「……かんぱい」
恐る恐る口を付けた十四ははじめての一杯を一口含んだ。唇に触れるアイスは端がじわりと溶けているものの冷たく、反対に舌に触れるコーヒーは熱い。アイスのまろやかな甘みとコーヒーの苦みが咥内で混ざると思いのほか知っている味に近づいたが、その奥にさらに未知の複雑な苦みのようなものがあった。飲み下すと食道が灼けるように熱いのに少しひやりとして、鼻から今日一日獄のそばにあったのと同じ香りが抜けていった。
「どうだ?」
優しい低い声に十四は何度も何度も頷く。
「おいしいっす!」
慣れない苦みと酒精は想像したていたほど特別おいしいわけではなかったが、そんなことは問題ではない。
「作ったかいがあるってもんだな」
「よかったじゃねぇか、十四」
目元を緩めた獄がひとつ息をはいてから己のグラスへ口を付け、もうケーキをフォークごと口に入れていた空却に肘で小突かれる。今この瞬間十四にとって、それぞれの手に同じものがあることが重要だった。ほこほこと温まる胃をさすってみると自然に笑みがこぼれる。やっと同じものを口にできて、ましてそれが獄の手作りであるということが嬉しくて、その温かさが指先までじんわりと広がっていくようだ。
「すごい好きっす」
思わずつぶやくとからかうように空却が肩をすくめた。
「お、こりゃいけるクチだな」
「甘いからって油断するなよ」
獄の言葉に頷いて、ふわふわのケーキも一口。安心する甘い味になぜか涙が出そうになるのをぐっとこらえた。
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「誕生日おめっとさん!」
空却が高らかにそう言うと、グラスが3つあわさり涼しい音をたてた。
「えへへ、嬉しいっす!」
4月14日、今日は十四の誕生日だった。はにかんで笑う彼の頭をかき回すように空却が撫でる。
「うわ、」
「成人したんたからな、へらへらしてんじゃねぇよ」
いーっと犬歯を見せて憎まれ口を叩くが、『こういうのは当日やるから意味があるんだよ』と半ば無理矢理この会を企画した張本人である。それが照れ隠しであることは、十四にもわかっていた。
「そのへんにしておいてやれ、ったくいつまでたってもガキだなお前らは」
自宅を提供することとなった獄は、二人の前に帰りに購った惣菜を押し出す。ローストビーフやら骨付きのチキンやらは若者たちの好物だ。もちろん十四の好物ナポリタンも皿に山となっている。二人はあっさりとグラスを置いて箸を取った。
「ナポリタン! 高いお肉!」
キラキラした目で物色を始めた十四。
「高かろうが安かろうがうまけりゃいいんだよ。
ん、やっぱりチキンは骨付きに限るな!」
一方の空却は坊主とは思えない豪快さで肉をくわえると、これまたこの世の節制とは無縁の勢いでお気に入りの発泡性の日本酒をグラスへ足した。
「値段なんて野暮なやつらだな……。
張り切るのもいいが、ケーキの分の腹は空けとけよ」
すぐに取り合いを始めそうなので軽く釘を刺す。まあ祝いだから小言はなしにしようと、獄は自分のための刺し身へ手をのばした。傍らのグラスにはハイボール。実は彼は昨日までチーム3人での食事では酒を一切口にしていない、もちろんタバコにも手をつけなかった。だがそれも今日までで終わりを迎える。昨年空却と初めて酒を酌み交わしたときも思ったが、なんとも感慨深いものがあった。そう、例えば父親にでもなったような。
「……まさか酒を飲めるようになるまで付き合いが続くとは思わなかったよ」
ナポリタンをアマンダの前にも置いていた十四が顔をあげる。獄の小さな独り言に耳ざとく反応したようだ。
「どうしたんすか?」
「おめでとう、つったんだよ」
「ありがとうございます!」
またふにゃりと表情を崩した様子を見て、早く食えととっておきのトロを皿に盛ってやった。
一通りの料理を堪能した後、レース紙のかかった大きな箱から出てきたのは、3人で食べるにはいささか大きなホールケーキだった。真っ白な生クリームとツヤツヤのいちごで囲まれた上部には、十四の宝物が描かれている。
「ケーキ、アマンダじゃないっすかあ」
うわあと喜びの声をあげる様子はまだまだ子供っぽい。それを見て空却が意味ありげに眉を上げて獄に囁く。
「やっぱりデカいケーキは要るだろ?」
はいはい俺が間違ってたよと手を振って、獄は懐のライターでろうそくへ火をつけた。空却はスマホを取り出すと、部屋の明かりを落してカメラを起動する。そのまま少し癖のある節でハッピーバースデートゥーユーと歌いだしたものだから、獄も少々気恥ずかしく思いながら小声で続き、十四はなぜか一番張り切ってその簡単なメロディをなぞる。
「ハッピーバースデートゥーユー」
歌い終わるとろうそくの炎を十四が名残惜しげにふぅっと吹き消した。ろうの匂いが一瞬鼻を掠め、誰からともなく拍手と歓声がわく。明かりをつければ空却は面白がって試合後のインタビューのようにマイク代わりのスプーンとスマホのカメラを十四へ向けた。
「オイ十四、せっかくだからなんか目標とかやってみたいこととか言っとけ!」
「うぇ?」
「場合によっちゃあ拙僧らが協力してやるから」
「そんなこと急に言われても」
「いいから、なんかあんだろ? 何でも言ってみろや」
十四は二人の顔を伺うと、アマンダをぎゅっと抱きしめた。
「なんでもいいんすよね?」
「おう。じゃんじゃん言っとけ」
「えっと、まずラップをもっとうまくなることと、バトルで優勝すること……!」
おずおずと語りだしたのは共通の夢、いや手の届く目標。
「近いうちにだな」
獄が煙草に火を着けようと伸ばした手を止めて口角を引き上げる。空却もぐっと拳をにぎりこんでみせた。
「ははっ、のぞむところだ。
ますます修行を厳しくしねぇとな」
「えぇ、それは勘弁っす……いたっ」
途端に弱気になった十四に、空却は手を伸ばしてその額をスプーンの柄で弾いた。
「んで、もっと個人的なのは無いのかよ」
「あとは、バンドの新曲でチャート1位も獲りたいし。全国ツアーとかできたら最高っすよね。できれば音楽番組にも……、あっ」
長い指を折々数えていた十四がぴたと止まる。
「どーした?」
訝しむ間にスマホの画面へ綺麗な顔がアップになった。
「自分、お酒をのんでみたいっす」
エメラルドが期待と憧れに煌めいた。一瞬の間ののち、笑い声が広がる。
「ははははっ! 獄! さけ、酒だってよ!」
空却はカメラを止めスマホを放り出すと、涙を浮かべてどたどたと足を鳴らした。そして近くにいた獄の背中をばしばしと叩いて十四を困惑させる。
「だ、駄目っすか?」
痛ぇだろうがと隣の白い頬を引っ張って獄は笑い声を止め、十四の前へ新しいグラスを置く。その顔も少々緩んでいるのは誰の目にも明らかだ。
「好きに飲めばいいんだよ」
「いやでもなんかちょっと怖くて」
眉を下げ子犬のごとく小首をかしげると、十四は空のグラスをつついた。空却は頬をさすりつつさっと立ち上がると、我が物顔で獄の冷蔵庫をあさり酎ハイの缶を三つほど抱えて戻ってくる。
「ほれ見ろ、お前のために拙僧も獄も飲まない甘ぁいの入れてんだぞ。手を付けねぇから嫌なんだと思ってたわ」
ならんだ色とりどりの缶をひとつひとつ確かめながら、空却が続ける。
「これは白いサワー、甘いし3%だからジュース。はちみつレモン、これも甘いし3%だからジュースだろ。んでグレープフルーツ、5%じゃあジュースだな」
「ジュースなんすか?」
十四が獄をうかがう。もちろんそんなはずはなく、獄は頭を抱えたくなるのをこらえてかぶりを振った。
「当然酒は酒だ。信じるなよ」
「ひゃはは、拙僧からしたらどれもこれも変わんねぇんだよ。
大切なのは飲んでものまれないこと、飲み方を覚えること。つまり習うより慣れろだな」
「獄さぁん!」
いつもの流れになったところで、はっと十四が顔をあげた。
「って、そうじゃなくて!
自分は二人とおんなじのがいいんすよ!」
「同じぃ?」
「そうっす! だって、それがかっこいいっす!」
必死の訴えに、空却と獄は顔を見合わせた。
あー、と頭をかいた空却が十四に向き直って、自分のグラスを掲げる。
「これ見ろ十四。拙僧の好みは般若湯、つまりは日本酒。別にビールもサワーも飲むけどよ」
「俺はウイスキーだな」
獄も自分のグラスを持ち上げる。そこにはロックのアイラウイスキーがゆれている。
「ほわあ、ウイスキー」
カランと鳴った音にひかれ思わず手を伸ばしかけた十四に、空却は二つのグラスを近づける。
「言っておくがどっちも初心者向けじゃねぇぞ」
「うぐ、」
とたん鼻を突いた酒精に思わず形のいい眉を顰め唸った。空却と獄にとっては華やかな香りも、慣れていなければ少々キツイだろう。
「でもぉ……!」
どうせ最初に飲むならと食い下がる十四を見て、獄がゆっくりと立ち上がった。
「あぁ、お前らケーキ食ってちょっと待ってろ」
何かを思い出すようにこめかみを叩き、キッチンへ向かう。残された二人はケーキをちらと見てから立ち上がるとその背中を追った。
「なにすんだ?」
「ちょっとな」
そう答えつつ空却の頭の上の棚からこまごましたものが入ったカゴを取り出す。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、カゴの中からいつもは朝に飲んでいる豆と水をともにセットした。次に食器棚の前から十四をどかして、グラスを三つ。誰かにもらったまま存在を忘れかけていたチャイグラスはホコリもかぶっていなかったが、念のため軽く洗うことにした。
「ケーキにコーヒーっすか?」
手伝おうと一段上にあったチャイ用のポットを出す十四を止めて獄は答える。
「うまくいくかわからねえが昔飲んだカクテルを作る」
「カクテル。大人の響きっす……」
おとなしく食器棚の扉を閉めた十四を確認して、流しの前を陣取っていた空却を冷蔵庫の方へ寄せてグラスを置いた。空却と十四がカクテルについて話し始めたのはいいのだが、いい加減さほど広くないキッチンで二人も後をついてくるのは危ない。シャツの袖をまくり上げつつ獄は顎でケーキを指し示した。
「まだ時間がかかる。お前らは邪魔だからケーキを切り分けて食ってろ、ほら」
「はあい」
「しゃーねぇな」
追い立てるように言えば二人はしぶしぶキッチンから出ていく。ようやく落ちついて獄はグラスを洗い始めた。
こぽこぽと音を立てて抽出されるコーヒーの香ばしい香りに包まれつつ、拭いたグラスを並べて砂糖を取り出す。
「ザラメじゃなくてもまあいいだろ」
独り言をつぶやいてスプーンで砂糖を入れていく。ケーキのことも考え、量は控えめだ。そのあと獄はちょっと手を止めると足りない材料について考えた。流石にケーキの飾りをとるのは美しくないよなと思っていると、はかったかのようなタイミングでそのケーキの付近が騒がしくなった。
「あぁあ、アマンダ! それはダメっす。痛い、待って。空却さん、やめてほしいっす……!」
「危ねぇな、包丁持ってんだぞこっちは!」
「あああ! そんな、アマンダ、アマンダあぁ……」
「仕方ねぇだろ切らないと食えねぇんだから」
「だからって顔から切ることないじゃないっすか!」
「だぁ、うるうせぁな!」
「ひ、獄さぁん!」
呼ばれた獄はため息を飲み込んだ。どこか遠くでにぎやかな声に苦情が来なけりゃいいがという考えが頭をかすめて眉根を寄せる。だが空却を見て材料の件の解決策を思いついた。
「十四、本物のアマンダは無事なんだから大丈夫だろう。それから空却、お前が今日買って来たアイスちょっともらうぞ」
「いいぜ。でも半分は食うからな」
ケーキを皿に移すことに集中している空却は、特に迷うこともなくあっさり答えた。十四はアマンダを抱きしめて落ち着きを取り戻し震えるケーキの様子をはらはらしながら見守る。
「いつまでたっても世話の焼ける」
そのつぶやきを砂糖と一緒に溶かすように、獄は熱いコーヒーをグラスへ注いだ。そしてラックから彼のコレクションの中でも比較的癖の少ないウイスキーを一本選び取る。本来はカクテルにするにはもったいないようなとっておきだということを、おそらく二人は気づかないだろう。それでも獄はためらいなく美しい琥珀色の液体をさらにクラスへ足していく。空却と自分の分には普通の量を、十四の分には香りが分かる程度の量を慎重に。ゆるくマドラーでかき回すとコーヒーとあいまって深みのある芳醇な香りが広がった。
「獄さん、ケーキ空却さんが分けてくれたっすよ!」
「もう終わる、食ってていいぞ」
「ここまで来たら待っててやるよ」
フォークを振る十四に視線をやってから獄は仕上げにかかった。冷凍庫から空却が冷やしていたカップのバニラアイスを出し、大きめのスプーンでひとすくい。本来は生クリームを入れるところだが、そっとグラスに浮かべてみるとそれなりに様になっていた。
「よし」
残りの二つも手早く仕上げてアイスは再び冷凍庫へ。はやくはやくとせかされつつ無事完成した一杯を、それぞれ取り分けられたケーキの横へ置いた。
「アイリッシュコーヒーだ。初心者にも飲みやすい一杯だが、十四は無理するなよ。空却、お前もそっちをのんでるからほどほどにな」
獄が座ったのを見計らってそれぞれに手が伸びる。十四はやや緊張した面持ちでグラスを掲げた。空却が笑ってそこへ自分のグラスをぶつける。
「乾杯」
「……かんぱい」
恐る恐る口を付けた十四ははじめての一杯を一口含んだ。唇に触れるアイスは端がじわりと溶けているものの冷たく、反対に舌に触れるコーヒーは熱い。アイスのまろやかな甘みとコーヒーの苦みが咥内で混ざると思いのほか知っている味に近づいたが、その奥にさらに未知の複雑な苦みのようなものがあった。飲み下すと食道が灼けるように熱いのに少しひやりとして、鼻から今日一日獄のそばにあったのと同じ香りが抜けていった。
「どうだ?」
優しい低い声に十四は何度も何度も頷く。
「おいしいっす!」
慣れない苦みと酒精は想像したていたほど特別おいしいわけではなかったが、そんなことは問題ではない。
「作ったかいがあるってもんだな」
「よかったじゃねぇか、十四」
目元を緩めた獄がひとつ息をはいてから己のグラスへ口を付け、もうケーキをフォークごと口に入れていた空却に肘で小突かれる。今この瞬間十四にとって、それぞれの手に同じものがあることが重要だった。ほこほこと温まる胃をさすってみると自然に笑みがこぼれる。やっと同じものを口にできて、ましてそれが獄の手作りであるということが嬉しくて、その温かさが指先までじんわりと広がっていくようだ。
「すごい好きっす」
思わずつぶやくとからかうように空却が肩をすくめた。
「お、こりゃいけるクチだな」
「甘いからって油断するなよ」
獄の言葉に頷いて、ふわふわのケーキも一口。安心する甘い味になぜか涙が出そうになるのをぐっとこらえた。